ティンホイッスルは簡単?

どうも慎重に言葉を選ぶ人たちは「ティンホイッスルは簡単」と言い切るのをためらうようだ。「ティンホイッスルは簡単」の後には、よく「だけど奥が深い」だとか、それに類した表現が続く。実際、ホイッスルをメイン楽器としているプレイヤーは多いし、その演奏の存在感は他の楽器に決して引けをとらない。もしかすると、そんな楽器を「簡単」と評しては、かれらに対する敬意が欠けるような気がして、奥ゆかしくも「だけど奥が深い」と付け足しているのかもしれない。

実際にティンホイッスルは簡単なのだろうか。個人的な意見を言えば、簡単だと思う。簡単だから、ティンホイッスルはアイルランド音楽の形に馴染む近道だと思っている。おそらくこんなことを言うと、「こいつはホイッスルを軽く見ている」というふうに受け止める人がいるかもしれない。どうしてだろうか。すっかり常套句になってしまった「だけど奥が深い」に潜む違和感の正体はきっとこのあたりにある。

弁明の意図

私たちは困難に立ち向かい克服する人が大好きだし、できるなら自身もそうあろうとする。複雑な楽器や繊細な楽器を自在に操る人への憧れには、そういう嗜好も作用している。アイルランド音楽に登場する他の楽器たちを使いこなすのは、ティンホイッスルよりずっと難しい。そんなことから、アイルランド音楽のプレイヤーの間からは「ティンホイッスルから卒業」「ティンホイッスルからステップアップ」という表現が時々飛び出してくる。例の「だけど奥が深い」は、もとを正せばそんな態度への批判・反省が込められた言い方として生まれたのだと推測する。

そして、常套句の「だけど奥が深い」には、有名プレイヤーの技巧的で目の覚めるような演奏がしばしば傍証として挙げられる。「ティンホイッスルをメイン楽器にするなら、このくらいやって、フィドラーやパイパーをあっと言わせてみなさい」と言わんばかりに。もし困難な目標に向けて努力するのがそのプレイヤーの目的なら、その「見せ方」も決して間違いではないと思う。

だけども、私がこれからアイルランド音楽を始めようという人たちを前に語るときは、できれば、焦らず真剣にこの音楽の美を理解しようとすること、音楽と時間を共にすることで、驚くほど深く長く楽しむことができるんだということを伝えたい。なかなかスマートな言葉にならないけれど、どうすればうまく伝わるだろうか。「まずはティンホイッスルをやってみなよ。一番簡単だからさ」

ティンホイッスルの偉大さ

ひと昔前、ちょっと変わった経路を辿ってアイルランド音楽に接近しつつあった頃の私にとって、趣味として音楽を聴くということも、楽器を手に取るということも、あまり「普通の」ことではなかった。だから、2千円くらいのティンホイッスルを購入するのだってなかなかの大冒険だった。敢えてそんな大冒険に踏み出したのは、あの年頃にとにかく何かを表現したいという気持ちが高まっていたからだ。

数年間ティンホイッスルを続けているうちにあることが起こった。ふとした瞬間に「自分の身体の一部ですらないこの楽器が、自分の意識以上に、自分の内側にあるなにかと直結している」という感覚に出会ったのだ。漠然と思い描いていた「表現」というのとは少し違って、もっと原始的で強烈な感覚だ。その時に初めて、正面からこの音楽に向き合うという意識が芽生えた。

もしかするとそういった経験は、ティンホイッスルが極めて直感的に扱える上に表現力を兼ね備えた優秀な楽器だからこそ、比較的早い段階で得られたものなのではないか。それならば、この楽器に対する「簡単」という評価には、何も後ろめたいところなんてないのだ。一方で、ティンホイッスルは、単純であるからこそ、プレイヤーのこの音楽への理解、経験や感性、共演者や聴き手への思いを即座に剥き出しにする。けれどそれこそが、プレイヤーが時間をかけて探求すべきもの、「奥の深さ」なのだろうと思う。

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